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生きづらさから逃れるために

「死にたい」と考えるこころの状態は、「精神的に健康」な状態ではありません。精神的に健康なこころの状態とは、生きているのが楽しい状態、あるいはそうでなくても、生活していることが苦痛ではない状態のことです。自殺する直前の心理状態は、精神的にはとても不健康で、多くの場合にはうつ病とも言える状態になっています。たとえ、うつ病と言える状態ではなくても、精神的により健康な状態に戻るための精神医学的なサポートを必要としています。

 

現代社会では多くの人が、「生きづらさ」を感じながら生活しています。その「生きづらさ」が昂じて「死にたくなった」状態から、自殺が起こります。

そこでここでは、極端な場合には自殺につながる「生きづらさ」がどうして生じるのか、そして、どのように対応すれば良いのかについて、考えてみましょう。

人の基本的欲求とこころのメカニズム

死にたくなるような「生きづらさ」は、自分自身の「こころの声」を見失っていることから来るものです。こころの声とは、「~したい」という心の内から湧き出る欲求のことです。

注意が必要なのは、「~したい」という感覚の中には、生きるために必要な心の底からの「真の欲求」の他に、見栄や世間体などの思考や欲望(過剰な欲求)に基づいた「拡大された欲求(偽の欲求)」があることです。多くの場合に人は、人間として生きていく上で本来は必要ではない「拡大された欲求(偽の欲求)」に惑わされて、人が健康に生きていくためにそれを満たすことが不可欠である「真の欲求(基本的欲求)」を見失っています。よくあるのは、周囲の期待や規範、義務感などを身につけてそれに合わせようとするために、自分のやりたいことを抑えながらの生活を長く続け、その結果として「こころの声(真の欲求)」を見失ってしまうことです。

「真の欲求(基本的欲求)」が満たされない状態では、多くの場合にはあまり意識されることはありませんが、こころの中に「満たされない思い」が溜まることになります。こころの中に生じるこのような「満たされない思い」が、「精神的ストレス」や「生きづらさ」につながっていて、それが昂じると人は「生きる意味」がないと感じるようになり、極端な場合には自殺を選択することになるのです。

 

それでは、人が生きる上で必要な「真の欲求(基本的欲求)」とは、どのようなものでしょうか。心理学的なこれまでの知見から総合的に言えることは、人間には、他の動物にも共通してある「生存欲求(生理的欲求)」の他に、ヒトに特有な「承認欲求(他者に認められたい)」「自己実現欲求(自分らしく生きたい)」という基本的な欲求があることです。

そして、「承認欲求」と「自己実現欲求」という人に独特の基本的欲求を共に満たすことで初めて、「自己肯定感(自分はこれで良いのだという感覚)」を持つことができます。

人間の基本的欲求.jpg

つまり、生きづらさから逃れて満足した生き方をするためには、「承認欲求」と「自己実現欲求」という2つの人の基本的欲求を満たすような生き方をしなければなりません。生きづらいと感じている人は、それができずに悩み、苦しんでいるのです。

他者から認められたいという「承認欲求」と、自分らしく生きたいという「自己実現欲求」という2つの欲求には相反する面があります。そのために、それを同時に満たすことには難しさがありますが、不可能なことではありません。それを実現するためには、ていねいな「対話」に基づく「コミュニケーションスキル」が必要になります。自分の希望と他者からの要求を共にはっきりと自覚して、その2つを共に満たせるような道を「対話」によって見出す必要があるのです。

しかし一般的に言って、生きづらいと感じている人の多くは、ヒトが生きていく上で大切なこれらの「こころの声(2つの基本的欲求)」に無頓着です。自分が本当には何を望んでいるのかが、分かっていない場合が多いのです。そして多くの場合にそれは、人が成長する過程で身につけていく「世間的な価値観」や「義務感」といった「知恵」のために、「真のこころの声」がないがしろにされてしまうために起こります。

こころの状態を健康に保つために

こころの状態を健康にするためには、人の基本的欲求を健全な形で満たす必要があります。本来は必要のない「拡張された欲求(偽の欲求)」に惑わされずに、「真の基本的欲求」を満たす必要があるのです。それは、どうすればできるのでしょうか。それを理解するためには、「こころのメカニズム」を知ることが役に立ちます。

一般的に言って、人の行動を決定している要因には、「思考」「感情」「体験」の3つがあります。人は、「思考による判断」(思考には、直感的思考と論理的思考の2種類があります)、「感情的な判断」、そして、それまでの「経験(体験)に基づく判断」という3つの要因を統合することで、自らの行動を決定しています。「思考」「感情」「体験」の3要素は、互いに影響を与え合いながら、こころの中で働いています。

一方で「欲求」は、「思考」「感情」「体験」の3つの要素を生み出す源になっていますが、逆に、3つの要素からの影響を受けてもいます。これらの関係性を分かりやすく示したのが、下図の「こころのメカニズム」です。

こころのメカニズム.jpg

上に示した「こころのメカニズム」の図からは、人の「欲求」を健全な状態に保って「こころの健康」を得るための方法としては、「思考」「感情」「体験」の3つの方面からのアプローチがあることが分かります。

 

「思考」の面からは、見栄、恥、世間体などといった本来は人が生きるために必要ではない要因を取り除く必要があります。思考には、パッと思いつく「直感的思考」と、じっくり考える「論理的思考」がありますが、直感的思考にはさまざまなバイアス(偏り)がかかることが分かっているので、直感的思考にばかり頼っていると、それに基づく行動には誤りが多くなります。直感的思考による誤りを論理的思考を用いて修正していく精神・心理療法が「認知療法」です。

 

また、人は往々にして、自分自身の体験を絶対的なものと感じていて、それに基づいた行動を変えようとしない場合が多いものです。そして、自分が体験したことが世の中の全てだと感じ、絶望して死を選ぶことにもなります。しかし、自分で体験できたことが世界の全てではありません。世の中にはそれまでのその人の体験にはないようなことがたくさんあるのです。それまでのその人の行動パターンにはない新しい行動や体験を少しずつ段階的に積み重ねてもらうことで、こころの状態を変えていく心理・精神療法が「行動療法」になります。

 

さらに、感情の変化は思考や行動にも変化を及ぼしますので、「自分が他者に受け入れられた」という基本的な安心感を与えることで、こころの状態を変えることもできます。そのための手法が「来談者中心療法」などの心理・精神療法になります。最近では、「マインドフルネス」などの東洋的な訓練法が役立つことも注目されています。

 

加えて、これらのこころの状態は、脳内の神経回路網の働きによって形成されているので、神経回路網の働きに影響を与える薬物を用いることでも、こころの状態を変えることができます。しかしながら、薬を使う治療法(薬物療法)では、大まかなこころの状態を変化させることはできても、一人一人で異なるさまざまな「こころの問題」に対応しながら、細やかな調整をすることはできません。

そのために、その人に特有なさまざまな事情に基づく「こころの悩み」に適切に対応するには、認知療法、行動療法、感情からの働きかけといった心理的なアプローチが不可欠になります。

 

その上で、人は社会の中で生きる「社会的生物」でもあるために、対人関係の行き違いで生じる「社会的ストレス(対人関係ストレス)」に適切に対処していく必要もあります。多くの場合に「対人関係ストレス」は、人のこころの状態を健康に保つことを妨げる大きな要因になっています。対人関係ストレスを解消するためには、対人関係性を改善するための「対人関係スキル」を身につける必要があります。

その際に重要になるのが、ていねいな「対話」の技術です。自分自身の「こころの声」をはっきりと認識して、言葉で自分の希望を他者に伝え、一方で、一旦は自分の考えを棚上げして他者の言葉をよく聞き、その上で、自分の希望と他者の要求の中間にある適切な「落しどころ」を見つける必要があるのです。

 

現代の精神医学的な人間理解は、「生物―心理―社会」モデルだと言えます。脳という生物学的要素に働きかける薬物療法、心理面に働きかける認知・行動・感情療法に加えて、社会性(対人関係性)に働きかける治療法も必要なのです。

町営診療所みかわの精神科・心療内科外来では「こころの診療科」としての診療を行っており、さまざまな方法論の中からその人に最適な治療法を選択することで、「こころの悩み」の相談に総合的に対応しています。

文責:町営診療所みかわ精神科医師・薄井宏(医学博士)

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